自分の人生は自分で創っています。たとえそれがとても嫌な現実だったとしても、です。自分の内側が外側の現実を創っているのです。それを無意識にしているのか、意識的にしているのかで、人生の面白さが驚くほど変わってしまいます。あなたは、自分の人生を自分で創っていきたいですか?それとも、起こる現実に対して反応する人生を送りたいでしょうか?私は、意識的(意図的)に人生を創造し、毎日を楽しむようになってから、人生が面白くて仕方ないです。内観は、自分を知ることでもあり、人生は自分で創っているんだということを知る大切な作業だと思っています。自分の内側を知るために、外側に投影した出来事をヒントにします。
私は、不愉快な感情(ネガティブ感情)が出てきたときは、ラッキーだと思っています。なぜかというと、これによって自分がどんな人かが分かり、自己理解が深まり、自分のことが好きになり、成長し、視野が広がるからです。とはいえ、その場では、「何!?ムカつくんですけど!!!」「謝れ!!」と思っていたりします笑。感情的になっているときは、内観は行いません。リラックスしているときに振り返って行います。
先日、とても不愉快(ラッキー)な出来事がありました。謝っているのに理不尽に攻撃されたような感覚。久しぶりに感情を揺さぶられたので、例をあげてどのように内観したのかをシェアしたいと思います。
理不尽なことを言う人を許せる?
理不尽なことを言われたとき、ムカッとしませんか?その人を許すことはできますか?相手は自分の内側の鏡、相手を許すことは自分を許すと言いますが、理不尽なことってやっぱり納得いかないですよね。
たとえば、職場の上司に理由もなく怒りをぶつけられ、左遷された。陰で会社の愚痴や悪口を言っている人が、愚痴や悪口を言わない自分より可愛がられどんどん昇進する。頑張っている自分よりサボっている同僚の方が評価が高い。など。
あなたが、人としてこうあるべき、という正しい道から外れた行動を相手がしたとき、そんな相手を許すことができるでしょうか。我慢して許すことをしても、同じことをされたときに同じ反応が出ますよね。これは、本当の意味で許せていないからだと私は思っています。
私は先日、理不尽だと感じたことがありました。時間に遅れることを連絡し、OKをいただきました。遅れたことは私が悪いので謝ったのですが、あとになって私のことを責めてきた方がいたのです。遊んでばかりで不誠実だの、いい加減だの、態度が気に入らないだの(詳細は割愛します)一方的に言ってこられ、その時はさすがに相手の方に対して怒りを感じましたが、冷静に「それは関係ないことだ」と話をして納得されました。でも、私の気持ちは収まりません。何で私がそんなことを言われないといけないんだ!!!!怒りが止まらなかったので、あとで振り返り、内観しました。
相手は鏡、私は過去に同じことをしたことはなかったか・・・・。
ああああああ!!!!思い出した!そういえば15年ほど前、ガスファンヒーターがガス漏れをしていたことでクレームを言い、お菓子を持って謝ってこられた業者の方に対して、不正実だの、いい加減だの、態度が気に入らないだの言ってしまったことが気になっていて、許せなかった自分を責めていたことに気がつきました。
過去の私が許されに来ている・・・・。そう思うと、慈悲の心が湧き、過去の理不尽な私を許すことができました。「許せない」と言っている本人が一番苦しんでいることにも気づき、今回の理不尽なことを言って私のことを許せないと言っていた方の苦しみも理解することができました。
他人にされると許せないことって、自分がしているときは気づかない。それを気づかせてくれるのは他人。相手は鏡、心に染みました。相手を許すことは自分を許すこと・・・。本当にそうなんだと感じた出来事でした。
私に理不尽なことを言ってくれた方に感謝です。大きな気づきをありがとうございます。