今日はカフェでブログを書いています。日々自分と向き合い(内観)、気づきを得ている内容をこれまであまり書いてこなかったことに気づき、私の気づきが誰かの気づきになればと思い、書いています。
自分に起こる出来事(現実)は、全て自分の内側が外側に映し出されている。現実は自分が創っている(自分が源)。ということを前提に内観をしています。また、ネガティブは自分のことを知る(視野を広げ拡大する)チャンスだと私は捉えています。
考え方、捉え方が一般的ではないことかもしれません。分かりにくいなと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、ご容赦ください。
「利用された」と感じる。
私は、誰かに「利用された」と感じることがありました。とても嫌な気分でした。そりゃあ利用されるの嫌だよね、それは当たり前じゃない?それがどうしたの?考えすぎ。と思う方もいるかもしれません。HSPは考えすぎ。なのではなく、感じすぎなのです笑。また、当たり前じゃない?という事こそ「何がいやなのか?」を見ていく自分を知るためのチャンスだと思っています。HSPな私は、感じすぎるという気質を使ってこのような些細な自分の変化に気づくことができます。
利用されたと感じること。ですが、例えば、あまり仲良くなかった友人Aさんが、急にあなたと仲良くなったとします。話を聞くとAさんは、あなたの友達のBさんのことが好きでした。あなたを通じてBさんと仲良くなり、付き合うことになりました。その後、あなたとは全く話をしなくなりました。
あなたは、どう感じるでしょうか。気にしないと言う方は多いかもしれませんが、「ハッピーになって良かったね!私ってキューピッドじゃん!」と、捉える人もいれば、「私を利用してムカつく!」と捉える人もいると思います。どちらが正しいとか間違っていると言いたいのではありません。どちらも正解です。その時々で色んな捉え方がありますよね。私は、この例では、利用されたと感じていました。
利用する。の言葉の定義は、便利なものとして使用すること。 自分が得するための方便として使うこと。 だしに使うこと。 つけこむこと。つまり私にとって利用されることは、自分が「損をする」と感じることだったのです。
「損をする」ことがどうして嫌なのか?損をするとどうなるのか?
「損をする」ことがどうして嫌なのか?自分に聞いてみると、取られる。怖い。と出てきました。何を取られ、何が怖いんだろう?現実は全て私が創っているのであれば、この体験をすることを望んでいるということ。現実を創っているのは私。何を学ぼうとしているのだろう。
利用される=怒り=損をする=恐怖
私は、あらゆる場面で「利用された」と感じ、快くできない自分に対して、どうしてだろう。と思っていました。特に父に「そこの〇〇取って」と頼まれることに対して、利用されるという感情が溢れ出て、ものすごく違和感を感じていました。「自分で取って!!」と怒ってしまうこともありました。そこにあるものをただ取るだけの行為なのに、ものすごく嫌だったのです。「利用される」と感じると出てくるこの怒りと恐怖はどこから来ているのか。
「利用された」と感じたとき、どんな気持ち?・・・怒りが込み上げる。そのあとに虚しくなる。
何に怒っているの?・・・自分のことは自分でしろ!頼るな!甘えるな!認めろ!
何を恐れてるの?・・・私には人として認められないこと。無視されること。
・父に利用されて、失望した体験(インナーチャイルド)
<私の両親は、3歳の頃に離婚し、父が私と0歳の妹を育ててくれました> 小学生のとき、父に利用された(妹の世話、家事をする)と感じた体験があります。妹には何も手伝いをさせない(厳密に言えば手伝いをしないのは妹だった)のに私にだけ家事をさせた。私がいくら家の手伝いをしても、何もしない妹の方が可愛がられるという体験から、父に(利用され)従うことで愛されることを期待し、愛されなくて失望する。を繰り返していた。利用されることで愛されたい(期待)→ 愛されない(失望)。私は利用されるが愛されない存在なんだ。と思い込んだ。そして、家事をし、父に認められることで自分の存在価値を認めてもらおうとした。
本当は、父は私を利用するのではなく、頼っていたのだと思う。大人の事情は、今になって分かる。でも幼い私は、本当は頼られることが苦しかった。もっと甘えたかった。やりたくなかった。もっと遊んでほしかった。構ってほしかった。わがまま言いたかった。でも小さい妹がいたので甘えられなかった。悲しい、苦しい、私も愛して欲しい。でも愛されない。その感情を感じることが怖くて、「利用された」と感じると怒りという感情で本当の自分を見ないようにしていた。この体験のおかげで、何でも自分でやれる。という自信と強い意思を持つことができ、それが私の行動力につながった。そして、今の自分がいる。
「利用される」と感じる体験から、学んだことは、本当の自分の気持ちに蓋をしていたこと。父に頼られることが苦しかった。もっと甘えたかった。やりたくなかった。もっと遊んでほしかった。構ってほしかった。わがまま言いたかった。という本当の自分に出会うことができました。そんな私に寄り添いつつ、自分のことは自分でしろ!頼るな!甘えるな!認めろ!と叫んでいた自分を認め、これまで「人に頼ること」「誰かに甘えること」「自分を認めること」を許せない自分に対して、頑張ってきたんだね、お疲れ様。これからは誰かを頼ってもいいし、「やりたくない」と言ってもいい。「できない」と甘えてもいい。自分を認めてもいい。もう楽にしていいよ。と言ってあげました。
これからは、もっと自分に優しくなろうと思えたことに、喜びと感謝でいっぱいになりました。私にとってこの体験は宝物です。
お父さん、男手ひとつで精一杯だったこと、利用ではなく私を頼らざるを得ない状況だったこと、それでも暗い顔を見せず明るく私たちを育ててくれて本当にありがとう。
今、父に「そこの〇〇取って」と言われても、「はい!どうぞ」と心から笑って言える私がいます。