「自分らしく生きること」をチャレンジする中で、自分勝手で軽率な人に見られたと感じたことはありませんか?
それは、自分の内側の投影なんだとしみじみ感じた出来事がありました。
私は、たまに時間を忘れて行動している事があります。悪気は全くなく、気をつけていても忘れます。
そんな時も、普段は直感が来て、直前で思い出すのですが、ある日、すっかり忘れてしまっていました。
相手の方は素晴らしくきっちりした方だったので、怒り奮闘。当然ですね、それは私が悪い。
謝ったけれど、謝り方が悪いと気分を害されてしまいました。
やっぱり、自分らしさとは自分勝手なのか?
相手に迷惑をかけている自分を受け入れられない。
でもこれが私。頭の中がグルグル。
いやいや、ちょっと待って。
自分勝手で軽率な人だと思っているのは誰?!
相手のことに意識が向いている…
私は自分のことをどう思っているのか。
深掘りをしてみました。
すると、なんと過去に私も同じことをやっていて、罪悪感を感じていたことを思い出したのです。
その頃の私の投影だ…。
そして、
・人としてキッチリしなければならない
・完璧でないと認められない
・人の気持ちをわかるべき
・自分より相手が正しい
・ミスをする私には価値がない
というビリーフを発見しました。
許して手放していきます。
会社員の頃、ミスをしてダメ出しをされて何度も失敗をしていた私に対して、ミスをする私は価値がないと感じていました。
そこに気付いた途端に、涙が出て止まりませんでした。
私は、自分に対して厳しく、そしてミスをすることを許せなかったのです。
ごめんね、そこまで厳しい自分がまだ居たんやね。
ミスをしても、キッチリできなくても、
私には価値がある。
それに気付かせるためにこの出来事が起こっていたんやね。
会社員の頃、時間にルーズな友達と付き合っていましたが、全然気になりませんでした。
何でかな?と思い起こすと、恐らく私もそんな時があるし、それも含めて彼女のことを好きだったからだと思います。
その出来事から分かった私のビリーフは
・ルーズな私を許すべき
・自分もやってることをわかるべき
・お互い様の気持ちをもつべき
・私が受け入れてるのだから相手も受け入れるべき
でした…
これも、許して手放します。
出来事に意味はなく、意味付けをしているのは自分自身。そして、自分のことを知るために相手があり、起こっていること全ては成長、拡大し、自分らしさを表現するため。
現実は自分が創っています。
つい相手に反応している自分がいて、どうしても自分の責任だとは思えないこともあると思います。
視野を広げて、次元を上げて考えていくことで、本当に成長していくんだなぁと感じた出来事でした。
登場していただいた方に感謝です。